戦国BASARA的リアル戦国武将

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市(浅井軍)

浅井長政の妻・市は、1547年に、織田信秀(信長の父)と側室の間に生まれたと言われていますが、母親について本当のところは分かっていません。
戦国随一の美女と名高い市姫。織田家自体が美形の家系と伝わっていますが、兄である信長も美形であり、さらに姉(妹の可能性もあり)も「光を放つような美女」と言われていることから、市は側室の娘ではなく、信長と同じ正室・土田御前の娘ではないかという説もあります。
と同時に、信長の従妹(信長の叔父である織田信光の娘)とする史料があったり、江戸時代の「織田系図」には信長の従兄弟である織田広良の娘と記されていたりするので、結構、市は謎の女性ですw
(この時代、女性に関する史料って少ないんですよね・・・)

近江の浅井家との同盟のため、当主である浅井長政と政略結婚した市ですが、長政&市のラブラブっぷりと言ったら周りが羨むほどだったと言います。
この織田と浅井の同盟は、織田氏と朝倉氏の戦が起きたことによって後に破棄されることになりますが、ギリギリまで織田につくか朝倉につくかを長政が迷ったことに、朝倉派の家臣たちは「市のせいで長政様が惑わされている」とまで言っていたとか。

お市の方で有名なエピソードと言ったら、やっぱり「小豆袋」ですね。
1570年、織田信長の朝倉攻めの際、ついに織田との同盟破棄を決意した浅井長政が織田軍の背後から急襲。そのピンチを報せるため、市は兄・信長に陣中見舞いとして袋の両端を縛った小豆袋を贈りました。
袋の中の小豆は織田軍。両端をきつく結ばれていることは「出口なし」つまり、朝倉軍と浅井軍による挟撃を意味していました。
これによって浅井軍の裏切りを知った信長は、逸早く撤退を指示し、そのおかげで危うく難を逃れたと言います。(金ヶ崎の戦い/金ヶ崎の退き口)

ですが・・・

実はこの小豆袋の兄妹美談は捏造だったという説が有力なようです。

というのも、市は長政様にベッタリラブラブでしたから、もうすっかり市は浅井家の人間だった訳です。
その市が、夫である長政を裏切るような行動をするはずがない、ということですね。
しかも、当時の習慣として、女は一度嫁入りしたら、もう実家ではなく嫁いだ先の人間として生きていくのが当たり前。
織田信長に嫁いだ斉藤道三の娘・濃姫のエピソードでも、その辺はお分かりかと思います。(このエピソードについては、後日、濃姫のときに・・・)

さて。織田・徳川連合軍の前に滅んだ浅井家ですが、その後の市はと言うと、1582年に、信長の家臣だった柴田勝家と再婚しています。
当時はまだ羽柴と名乗っていた豊臣秀吉が熱烈に求愛したようですが、お市は秀吉が大嫌いだったようで、秀吉へのアテツケに勝家と結婚しちゃった、という噂も・・・w
さらに、信長の後継者の座を巡って秀吉VS勝家の戦いが勃発し(1583年/賤ヶ岳の戦い)勝家が敗れると、命を救おうとする秀吉の誘いを頑なに断り、娘たちだけを逃がした市は勝家と共に自害しました。享年37歳。

こんな風に「死んでも秀吉の嫁にだけはなりたくない!」と、本当に命を賭けてアピールした市ですが、その理由は色々と噂があります。

▼市が秀吉を大嫌いだった理由
・浅井家滅亡の際、長男の万福丸を処刑したのが秀吉だったから。
・秀吉が猿顔でブサイクだったから。(兄・信長や夫・長政はイケメンだった)
・秀吉が元農民の成り上がり者だったから。

結局、秀吉は市を手に入れることは出来ませんでしたが、後に市の長女・茶々(淀殿)を側室に迎えます。
母を自害に追い込んだ秀吉の側室となった茶々の心境についても色々な説がありますが、秀吉が茶々を側室に選んだのは、ズバリ「茶々の顔が市に似ていたから」だとか。
いやはや執念深いと言うか、何と言うか・・・。

ちなみに余談ではありますが、ゲーム戦国BASARA2 英雄外伝の主題歌、abingdon boys schoolが歌う「BLADE CHORD」の歌詞にある「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の夢」は市の辞世の句がモチーフになっています。

▼市の辞世の句
「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」

落城の際、市は娘たちに「浅井家の血を絶対に絶やしてはならない」と諭したそうです。そして、その言葉どおり、後に徳川幕府の二代将軍・徳川秀忠に嫁いだ三女・江は多くの子を産み、浅井の血筋は現在まで続いています。
(※浅井長政と市の娘、江(崇源院)は、2011年NHK大河ドラマの主人公として描かれる予定です)
posted by M at 00:23 | Comment(2) | 浅井軍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

浅井長政(浅井軍)

戦国BASARAの正義マン・浅井長政は、1545年に浅井家二代目当主・浅井久政の嫡男として生まれました。織田信長や武田信玄たちと同じ時代を生きた人なので、戦国BASARAの登場キャラクターとしては年長組の部類に入ります。


戦国BASARAでは、少々頭の悪い(ファンの方ごめんなさい。汗)熱血ヒーローという感じの長政ですが、実際の浅井長政は知勇に優れた青年で、まさに戦国のヒーローとして家臣たちに期待されて育ちました。

と言うのも、長政が生まれた当時、浅井家は敵対する六角氏に自らの領地を奪われ、その家臣と成り下がってしまっていました。

そんな情けない当時の浅井家当主・浅井久政(長政の父)に不満を持っていた家臣たちの後押しもあり、長政は父を追放し、強引に家督相続。「これ以上、貴様たちには従わん!」と六角氏を相手取って戦を起こします。(1560年、野良田の戦い)

当時、長政は若干15歳(!)でしたが、自らが戦の指揮を執って大勝利。
これにより、浅井家は六角家から独立し、近江で急成長して行きます。


と、ここで浅井長政マメ知識。

浅井長政の話には必ずと言って良いほどセットで登場するのが、お市の方。
この二人がラブラブだったのは有名な話ですが、実は長政様、お市の方と結婚する前にも奥さんを貰っています

六角家が「浅井家はウチの家臣!」とアピールするために、家臣のひとりである平井定武の娘と長政を結婚させたのです。
が、後に起こる六角氏とのバトルの際、長政様は、この娘さんを「離反の意思表示」として六角氏の元に送り返してしまいます。
なので、お市の方は後妻ではありますが側室ではありませんので、ご安心くださいw


さて。話を戻します。

六角氏の元から浅井家が独立した後、浅井長政は織田信長と同盟を結びます。

この同盟は信長から持ち掛けられたもので、条件的には浅井に有利なものでしたが、家臣たちは猛反発。
その理由は、浅井家が盟友とする朝倉義景が織田信長とメチャクチャ仲が悪かったため。

朝倉家と織田家は、幕府による政治を復活させたいと望む足利義昭を巡って絶賛バトル中。
朝倉親交派と独立派とで意見が分かれましたが、結局は長政様の意思により、浅井家と織田家との同盟が結ばれることとなります。

そのときの条件が「ウチと同盟するなら、朝倉とは戦わないでね!」ということでした。

まぁ、魔王のオッサンは、この約束を見事に簡単に破ってくれるわけですがw
長政様は信長の言葉を信じ、同盟を結んだのでした。


この織田・浅井同盟は、信長にとっては上洛のルート確保のため、長政にとっては織田家という強力な後ろ盾を得たことで他国への牽制が出来た、と双方にとってメリット満載でした。

が、事件が起きたのは1570年4月。

信長が長政との約束を破って、同盟中の徳川家康と共に朝倉を攻め始めます。

長政は信長の妹お市と結婚していたこともあり、織田と朝倉のどちらの味方をするか悩みますが、結局は「勝手に朝倉を攻めないって言ってたくせに裏切った織田が悪い!」という家臣の言葉もあり、朝倉側に付くことを決意。
織田・徳川軍を背後から急襲します。

信長から見れば「え、マジで!?」くらいの予想外の展開に、織田・徳川軍は、朝倉軍と浅井軍の挟み撃ちから必死の逃走。(金ヶ崎の戦い

6月に織田・徳川VS浅井・朝倉の全面戦争となる姉川の戦いが起こります。
形としては、織田VS浅井、徳川VS朝倉という感じ。

浅井軍の方は、磯野員昌の活躍もあり、当初は織田軍に敗走の準備までさせるほど追い詰めますが、足を引っ張ったのが朝倉軍(汗)

戦っていた徳川軍の3倍もの戦力を有しながら、榊原康政らの猛攻により敗走。
側面に位置していた朝倉軍が敗走してしまったため、浅井軍にも隙が生まれ、こちらも敗走を余儀なくされます。


この姉川の戦いの後、アニメ戦国BASARAでも登場した「信長包囲網」が結成されるのですが、これは別の機会に詳しく書きます(スミマセン。汗)


同年9月、朝倉軍や延暦寺、一向宗徒と手を組み織田攻めを再開します。
森可成(蘭丸の父)や織田信治(信長の弟)を討ち取りますが、翌1571年9月には浅井と協力関係にあった比叡山延暦寺が焼き討ちされ、壊滅してしまいます。

1572年7月、織田軍が5万の兵力を持って近江へ侵攻。
浅井・朝倉の連合軍と睨み合いになりますが、数では劣る連合軍。ピンチです。

そこに届いた一通の文!

甲斐の虎こと武田信玄が上洛のために進軍開始したとのこと。
信玄の進軍を阻止したい信長は美濃へ戻ろうとしますが、浅井・朝倉の連合軍は、それを阻止する役目を担うことになります。

信玄の上洛が叶えば、織田を潰す大チャンス!

ですが、ここでも足を引っ張ったのは朝倉軍。
12月には、兵の疲弊と降雪を理由に越前へと帰国しまったのです。

なんて自己中な!と信玄は大激怒しますが、朝倉は戻ってきません。
悠々と美濃へ引き返した信長とは逆に、進軍できない武田軍。

仕方なしに、信玄は朝倉の協力なしで徳川領の野田城を攻め落としますが、このときのストレスや疲労で信玄の持病が悪化。
ついには信玄が病死してしまい、武田軍は甲斐へ戻ることを余儀なくされます。

これにより信長包囲網は完全に破綻。
もはや敵なしの織田軍は、大軍を持って浅井・朝倉攻めを再開します。


1573年7月、押し寄せる織田軍の前に、再び朝倉に援軍を要請する浅井軍。
当然、要請に応えて出陣した朝倉義景です・・・が。
この人、どこまでヘタレなんでしょうか
織田軍が次々に城を落とし始めたのを見るや、さっさと撤退してしまいます。
逃げる朝倉軍を織田軍は追撃。朝倉軍は、ここに滅ぶことになります。(一乗谷城の戦い

朝倉の援護が無くなった浅井軍に、もはや打つ手なし。
ジワジワと追い詰められ、ついに本拠地である小谷城が織田軍に囲まれてしまいます。

滅ぼそうと思えば、いつでも滅ぼせる状態。
それでも、信長はすぐに小谷城を攻め落とそうとはせず、再三の降伏勧告を送ります。

さらには、あの非情な信長からは考えにくいのですが「降伏すれば大和に領地をやるから」とも言われるのですが、長政様の答えは「No」。
人タラシの木下(豊臣)秀吉が使者として行っても「No」!
結局、最終勧告も決裂し、1573年9月、浅井家は滅ぶことになるのでした。

浅井長政、享年29歳。若すぎです。

浅井家滅亡の際、長政様とラブラブだったお市の方は一緒に死ぬことを望むのですが、長政様に諭され、三人の娘と共に織田陣営へと逃れることになります。

この三人の娘が、茶々、初、江で、それぞれ数奇な運命を辿っていくことになります。
しかも、豊臣秀吉の側室として嫁いだ長女の茶々は世継ぎである秀頼を生み、三女の江は後の二代将軍・徳川秀忠に嫁ぐなど、浅井家は滅んでも、その血筋が天下を動かすという結果になったのは不思議なものです。

お市の方と子供たちが織田陣営に向かう際、浅井軍も織田軍も、一切の攻撃を止めて見守ったというのですから、どれだけ市が長政と信長に愛されていたかが分かりますね。


ちなみに有名な逸話として、信長が正月に設けた宴席で、長政・久政(長政の父)・朝倉義景の三者の首を漆塗りにして金箔を塗したモノを飾ったという話があります。
この話は信長公記という、かなり信憑性の高い資料にも記されているため実話だと思われます。
が「首を杯にして酒を飲んだ」という記載はないので、その真偽は定かではありません。
posted by M at 01:01 | Comment(0) | 浅井軍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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